2013年3月8日金曜日

『クラッシュ』(2004):人種的「衝突」が生む化学反応

【2006-03-24のログを転載】

アカデミー賞作品賞など3部門で受賞を果たした「Crash」が気になったのでやっと観てみました。日本でも公開が始まってますよね?

米国では、「カラー・ブラインド(color-blind)」という言葉があります。色盲のことも言いますが、「人種(=カラー)によって区別を設けない」という意味で、現代アメリカ社会の人種に対する理念を表す言葉でもあります。実際、アメリカ合衆国は「カラー・ブラインド社会」である、という通念が広がっていて、表だって人種について語らない・語れない社会となっているという印象を受ける時があります。それは、語ることがその人の人種に対する偏見を浮き彫りにする危険性があり、そのことで「人種差別主義者(racist)」のレッテルを貼られ、社会的地位を失う可能性があるからでしょう。
ただ、表だって語らないからといって、人種偏見が無くなっていっているわけではありません。直接触れないようにしているだけで、現実には人種偏見・人種間の経済格差は存在し、それにより不当に権利や機会を奪われ、苦しんでいる人たちが沢山います。(そして逆に得をしている少数派がいます。)
そういった矛盾した社会となっている米国の現実をカリフォルニア州を舞台に映画したのが「クラッシュ」だと言えます。

映画からは、ステレオタイプ的な人と人とを出会わせ、躊躇無くステレオタイプ的な台詞・行動を衝突(=クラッシュ)させ、その時どういった「化学反応」が生まれるのかを試している、そんな印象を受けます。なので、現実的でありながらも寓話的な映画に仕上がっていると思います。
ある意味突飛な登場人物たちのそうした「衝突」の絡み合いが、この映画の魅力でしょう。非常に良くできた映画だと思います。

…が、個人的には「物足りなかった」というのが最終的に感じたことです。前回観た「ミュンヘン」の様な衝撃が「クラッシュ」を観た後には余り感じませんでした。何故かと考えると、「人種問題」というスープがあるのなら、「クラッシュ」はその上澄みをすくった映画と言え、そこには深みが足りないのです。
心を揺さぶる映画には、何か核となるストーリー/人が必要な気がします。「クラッシュ」にはそれがいまひとつ足りないような気がします。一つの映画にそこまでを要求するのは重荷かも知れませんが、心に残る映画とはそういう映画だと思います。

参考文献:中條献 著『歴史のなかの人種:アメリカが創り出す差異と多様性』北樹出版 2004年

追記:
国内の人種問題が浮き彫りになりにくい日本でこれを見る人は、これを観てどう思うのか気になるところです。「日本は平和だぁ」と寓話を寓話として見終えてしまう人ばかりだとしたら寂しいことです。

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